レッズランド構想の経緯
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1992年に設立された浦和レッズはスポーツの生活密着を図る「Jリーグ百年構想」を実現させるため、総合的なスポーツクラブの創設をうかがってきました。さいたま市東端の埼玉スタジアム2002周辺でのクラブ設立などの計画が浮上したこともあります。2001年には、総合運動場として開発・利用してきた東京農業大学から、レッズランドの前身である「農大グラウンド」の譲り渡しを打診されたこともありました。
2003年12月、同大学がこの総合運動場の新たな借主を探しているとの情報を受け関係者との交渉を始めました。構想が実現可能との判断を見極めた後に開かれた2004年3月の「浦和レッズ シーズン2004を語る会」で代表の犬飼基昭(当時)がファン・サポーターの皆様にレッズランド構想を披露しました。 その後内部検討を重ね、2004年11月に浦和レッズ内部でレッズランドプロジェクトチームが発足。具体的な設立準備に入りました。2005年1月には事実上の「準備室」を立ち上げ。同年夏の仮オープン以降、将来の組織体制のあり方を検討しながら暫定運営をしてまいりました。2008年8月にはより充実したホスピタリティ、サービスの向上を目的として浦和レッズ全額出資の新法人「株式会社レッズランド」を設立し、運営にあたっています。 |
浦和レッズが目指すもの
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<2004年までの12年> 浦和レッズは1993年のJリーグ発足以来、さいたま市(当時は浦和市)を拠点に、プロサッカーの興行や青少年育成などを通した活動に取り組んできました。長年培われた「サッカーの街・浦和」の魅力はそれを機に顕在化し、浦和レッズにはJリーグ屈指の素晴らしいサポーター・ファンが誕生しました。「見る」スポーツの文化はその間めざましく発展しました。スタンド全体や町中にレッズ色が広がる光景を見れば、浦和レッズが地域に密着しつつあることをうかがい知ることができます。 成績面では、Jリーグ当初から低迷し、2000年にはJ2落ちという屈辱も経験しました。それでもサポーター・ファンに支えられ、2003年にはナビスコカップ初制覇、2004年にはJ1セカンドステージ初優勝とタイトルを獲得、Jリーグ強豪の仲間入りが見える位置におります。 <2005年からの10年> チーム成績と同様に、あるいはより大切なことは、これまでの地域密着の取り組みを一段と加速させることです。地域の公共財として、社会貢献する意思があるからだけではありません。浦和レッズは、サポーター・ファンにとっての生活密着の存在になることが夢です。「クラブと地域社会が一体となって実現する、スポーツが生活に溶け込み、人々が心身の健康と生活の楽しみを享受することができる町」を謳う「Jリーグ百年構想」を本格的に実現することです。「見る」スポーツ、「支える」スポーツに加え、「体験する」スポーツ、「学ぶ」スポーツの分野でも、レッズには貢献できることがあるはずです。レッズランドは、チームの常勝と地域密着という今後の「浦和レッズ10年構想」を実現する重要な手立てです。 |
レッズランドが目指すもの
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<レッズランドで21世紀型のコミュニティを> 本格的な地域スポーツ文化を創り上げるための具体的な取り組みがレッズランドです。日本では長年、スポーツの主体は「学校」や「企業」が担ってきました。欧州に見られるように、レッズランドの実現で、その主体として「地域」が加わります。 日本では経済が成熟化し、今後は少子高齢化や人口減少社会に直面します。地域に目を転じると、凶悪犯罪増加にみられるようにコミュニティ(地域社会)が危機を迎えています。スポーツでは「学校」や「企業」が果たす役割が低下するなど、コミュニティやスポーツをめぐる環境は20世紀と比べ大きく変わってきています。 スポーツを通じて地域に新しい活力の芽を育み地域の誇りを復権させようとするレッズランド構想は、民間や地域や個人の主体性が求められる21世紀に相応しいスポーツのあり方であると考えています。浦和レッズは、社会貢献・地域貢献の新たな取り組みとして、あるいは地域活性化の先駆的なモデルとしてレッズランドを具現化します。 <スポーツに親しむ人々がレッズと築く会員制の総合スポーツランド> レッズランドはレッズを愛し、レッズに親しみ、あるいはスポーツを愛好する老若男女の方々で構成される会員制となります。浦和レッズの拠点・さいたま市はもちろんのこと、地域外の方々も会員になることができます。そこでは、浦和レッズと会員やパートナーの皆さまが、共同で地域スポーツを実現するための運営を行います。 その中軸となるのが、日常的に行われるさまざまなプログラムです。青少年向けにはレッズの元選手が人材養成するだけでなく、各種競技の指導者によるさまざまなスポーツの体験プログラムなどが考えられます。スポーツ関係者への特別支援プログラムや生涯スポーツを支援するためのプログラム、街づくりや会員が交流するためのプログラムなどを少しずつご用意して、レッズランドを会員たちの「スポーツ・サンクチャリー」にする計画です。 また、浦和レッズは「自然との共生」をレッズランドに求めます。自然に囲まれたレッズランドの特性を損なわないような施設整備を進めます。このため、グラウンドには天然芝も採用します。太陽光発電の利用やゼロ・エミッション活動など環境に配慮した活動も行います。 <生活に密着する「レッズランド・ライフ」> もっとも重視しているのは、青少年の健全な育成です。青少年向けの専門性の高いスポーツスクールを設けたり、少年がほかのスポーツに挑戦できるといった仕組みで、青少年が外界とは一線を画されたレッズランドでのびやかにたくましく育つ場になることを願っています。 青少年以外でもおとなやファミリー、高齢者の会員が自ら汗を流したり、時にはバーベキューを楽しんだりしているかもしれません。専門性の高いものから生涯スポーツにつながるものまで、多くのプログラムが用意されていることでしょう。また、さまざまな種目で、地域対抗やチーム対抗などのイベントも行われます。種目間の交流が盛んになれば、初めは考えもしなかった他種目のスポーツにチャレンジしているかもしれません。 高齢者向けのスポーツプログラムも用意されます。プログラムを実行するための「宝」である指導者から幅広く支援していただくとともに、指導者を育てる活動も念頭に置いています。そのような活動を通じて、ファンや地域住民の交流の輪が広がり、深まっていくことでしょう。 また、簡便な医療機能を使って駐在する専門家がリハビリ支援や健康の維持・増進のためのプログラムを実施するような場になることも期待しています。環境にも極力配慮し、地域のエコスクール開催なども考えていきたいと考えています。 スポーツの後や余暇の時間帯に、会員たちはシャワーを浴びてくつろぎ、自然に囲まれたカフェなどのスペースで癒されます。周辺の自然を探索したり、菜園に手を入れたり、夏の夜にはホタル狩りをする日がくるかもしれません。週末には、自らスポーツを楽しんだ後に、仲間たちと浦和レッズのリーグ戦にバスツアーで出かけているかもしれません。 スポーツが生活に密着するのは、スポーツを「する」ときだけではありません。レッズランドを訪れる前には「今度はあの仲間とサッカーができる」「今度の対戦相手は手強いな」とわくわくしながらその日を待ちます。 スポーツをした後は、仲間と杯を傾けたり、語らいあったりして余韻を楽しみます。「する・体験する(Do)」を中核に、その前(Before Redsland)もその後(After Redsland)も、スポーツや自然との親しみ、生涯学習などを楽しむことができれば。レッズランドが、そこに集う方々の「もうひとつの大切な庭」になるよう、みなさんと一緒に考えていきたいと思っています。 浦和レッズの夢は、14万平方メートルの土地を有効活用したこれらの活動を通じて本格的なスポーツコミュニティを日本で初めて築き定着させていくというものです。さらには、スポーツ分野だけでなく、芸術や学術分野の方々と協力し合って地域社会に貢献することも視野に入れています。すでに近隣にある埼玉大学と提携しており、そのような取り組みを今後一層広げていきます。 <小さく産んで大きく育てる> <文化をつくるのは一人ひとり> ※「構想」に書かれた具体例はあくまで例示であり、実際の事業計画とは異なることがあります。 |
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